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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月16日 マタ、キマス!

 SCOTサマー・シーズンの主要な事業が終わりつつある。7月の末から8月の初頭にかけての演劇人コンクール。これは日本の若い演出家を対象としたもの、8人の演出家の作品が上演された。8月後半の二週間はSCOTの3作品の公演と外国人だけの俳優による作品とシンポジウム。9月初旬は中国、日本、台湾、韓国の劇団によるイヨネスコの「椅子」が上演された。今年から始められた新しい事業、アジア演出家フェスティバルである。現在、アメリカ、イタリア、ドイツ、デンマーク、リトアニア、アルゼンチン、オーストラリア、中国、台湾の演出家や俳優が残り、私の訓練を学んでいるが、それも今日16日に終わる。
 今年の夏は15カ国の人たちの参加で、本当に賑やかだった。公演が終わると夜遅くまで、レストラン・ボルカノでいろいろな国の人たちが議論している。それぞれの国が政治的な理由によるさまざまな軋轢を起こしているが、そういうことを全く感じさせない雰囲気、自国に帰ればなかなか出来ないような話も飛び出したりして、改めて利賀村の不思議な存在の仕方、芸術文化の魔力とでも言うしかないものを、私だけではなく皆が感じたらしい。
 何よりも嬉しかったことは、アジア諸国の若者たち、20代から30代の人達が、交じり合い意気投合している光景を目の当たりにできたこと、そして、それぞれの国の若者たちが利賀村を離れる時、異口同音の挨拶をしてくれたことである。マタ、キマス!
 南米とかEUの一部の国の人達から、この言葉を口にされると、ひとしおその重さが身に染みる。国を出て利賀村に到着するまで、一日以上も飛行機に乗らなければならない。日本に到着しても、成田から羽田、羽田から富山と飛行機を乗り継ぎ、富山空港から利賀村まで、また一時間は車に乗らなければならない。時間だけではなく経済的にも相当な負担である。それを突破して来る情熱、胸にジンとくるところもあるのである。演劇人になろうと決心したばかりの若者は、どこの国でもたいていは貧乏。だからこの言葉は必ずしも実現されるとは限らない。心情と現実はいつも違うことが多い。それを思うとヤハリ、別れの寂しさを感じさせられるところがある。
 今年で利賀村での活動も37年、苦闘の連続でもあったSCOTの歴史が、無駄ではなかった、利賀村の活動を支え続けた精神が、国を越え世代を越えて理解され、確実に受け継がれていきそうだと実感できた。
 いつもそうだがこの後、私の生活環境は急速に変化する。視界から人間の姿はほとんど消え、ただ自然の中に取り残され囲まれる。ススキの穂はいっせいに白く変色し始め、夜の空気は一晩ごとに冷たくなっていく。昼間は透けるような青空と乾燥したさわやかな空気、山奥の僻地の秋である。身体が軽くなって、自然に溶け込んでしまうような、人間世界から離れたという寂しさもあるが、それがフィクションのように身体に懸かってくる感じは格別のもの。
 深夜になるとその感覚はさらに強くなる。人間の言葉は消え去り、せせらぎの音、風が木の葉を擦らす音、動物の鳴き声、自然界の音だけが強く耳に届いてくる。静けさの中での充電の時間の始まりとでも言うべきか。ひと夏の激しい放電の後のこの静けさと寂しさが、これまでの私の創作活動を持続させてくれたのだと想う。