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鈴木忠志見たり・聴いたり

1月22日 滑走路

 インターナショナルSCOTの稽古が始まった。今年はアラバールの「建築家とアッシリアの皇帝」を舞台化する。絶海の孤島に飛行機が墜落。一人生き残ったアッシリアの皇帝は、原住民の建築家と二人で、奇妙な演技遊びを延々と展開する。アラバールは、ベケットやイヨネスコと同時代に活躍した、フランス前衛劇作家の一人。アラバールはこの作品で、宗教により形成されたヨーロッパの伝統的な倫理観の欺瞞性を告発する。イタリア人マティア・セバスティアンの演出では、建築家と皇帝を、8人の俳優がトッカエ、ヒッカエ、演ずるようである。
 この舞台は、今夏のSCOTサマー・シーズンで上演する予定だが、2月15日、16日の両日、一回目の稽古の区切りとして、一般の人に公開する。
 今冬の利賀村は賑やか。インターナショナルSCOTの稽古に並行して、富山県の中学生と高校生による「シンデレラ」の稽古も行われている。来月になると、中国から北京の劇団が「マクベス」の稽古をするために3週間ほど滞在、更に昨年吉祥寺シアターで開いた、演劇教室の生徒と関係者25名が来村する。生徒といっても、実際に活動している演劇人、30歳前後の演出家や制作者たちである。東京の教室の続きで4日間、私の訓練や稽古を見学し、その後でいろいろと議論をする。
 昨年は若い東京の演劇人と触れあう機会が多かった。そして、日本の演劇環境が相変わらず劣悪で、変化していないことに驚かされる。私の若かった頃と、殆ど変わっていない。未だ日本には、職業としての演劇活動が成立していないこと、そのための専門的な高等教育も存在しないことを、改めて目の当たりにした。経験と知識の狭さ、物心両面に於ける余裕の欠如、これは彼らの履歴と現在の生活を知ると明らかである。専門の高等教育機関で、それなりの勉強をした人は少ない。また彼らの生活費は、演劇活動以外の職業から得ている。多くの時間が、演劇活動以外の仕事で消費されているのである。
 むろん私も、実際の演劇活動に従事する前に、演劇の専門教育を受けたわけではない。学生時代に演劇部に所属し、しばらくは気の合った仲間と別れるのが心残りで、ズルズルと活動をしていたといった具合である。当然のことながら、演劇活動によって生計を立てられるわけもなく、むしろアルバイトの収入を演劇活動のための資金にしていた。演劇活動だけによって、生活を維持することを望むのは、ほとんど不可能な時代、演劇界は就職の対象としては、存在していなかったのである。それが私を、利賀村を拠点に東京を経由しないで直接、海外の活動に赴かせた理由の一つである。
 その頃から50年が経っているのに、演劇を深く学び経験する場が、社会の変化に対応するように創られてはいない。旧態依然なのである。これは、何に起因しているのか。この点については、ヨーロッパのみならず、アジアの国の幾つかにも、日本は遅れをとっている。
 もちろん芸術的な才能は、必ずしも教育や経験の多さによって開花するわけではないし、優れた芸術家の生活が、経済的に豊かだったり安定するとも限らない。特に演劇人は小説家や作曲家のように、個人として出現してくるものではなく、集団という人間関係の役割の中で、その才能や個人の存在の独自性を示すものである。
 その集団が持続的に活動する場が、日本には殆ど制度的に確立されていないのだから、才能や能力や個性の有無が、社会的な場面で多くの人に評価・共有されにくいと言える。必然的に、金銭的にも恵まれることの出来にくい領域になってしまっている。若い時の私も、この社会的な制約を、自分が選んだ人生の前提として受け入れて、ボソボソト活動してはきたのである。
 教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に、残っているところのものである。アインシュタインの自信に満ちた言葉だが、これは知識を増やし、経験を積むために、贅沢に時間を消費した人でなければ言えないことである。新発見や新鮮な創造は、時間の滑走路を通過した末に訪れる。贅沢に消費できる時間と場の確保が、飛翔や閃きの前提であることは、科学者も芸術家も同じである。日本の演劇人に、こういう自信が身につくのは、いつのことになるのであろうか。
 この利賀村での時間が、日本の劣悪な演劇環境から、若い演劇人が少しでも飛翔する、滑走路の役割を担えたらと思っている。