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鈴木忠志見たり・聴いたり

12月28日 50年への思い

 武蔵野市の吉祥寺シアターの公演を終えて利賀村に戻る。サスガ、トガムラ、豪雪地帯の名に恥じず、雪景色のミゴトサ、別天地のオモムキ。すぐ除雪作業にかかる。
 地面に近い下の雪は凍っていて硬い。コマメニ除雪をしていれば苦労はないのだが、しばらく放置しておいての除雪は骨が折れる。疲れてくると不用心になり、除雪車の片側の車輪を池に落としそうになる。雪で池の縁が見えないとはいえ、カンの悪さにイライラ。エンジンの力を強くしても、傾いた除雪車は動かない。人力で引き上げられる重量ではない。幸い油圧式ショベルカーが劇団員の宿舎の側にあったので、それを運転して引っ張りだすのに成功。
 喉元まである雪を掻き退け、餌場の小屋を覗きに行く。今年の夏に、飼育していた動物たち、テン、アナグマ、ハクビシン、タヌキなどを山に帰した。自然に戻って、餌を見つけられない場合を考え、いつでも食べられるように、食料を入れて置くための小屋を山裾に造った。吉祥寺公演のために長期の留守をする。その間に大雪になることが予想された。自然界で餌を探すのは難しくなるだろうと、大量の餌を置いたのだが、餌はすべて食べられていた。元気にしているようである。
 昨日は今年の締めくくりの忘年会、今日から劇団員が三々五々に利賀村を離れて行く。劇団員が居なくなると、やはり淋しい。我が家から半径1キロメートル以内に人家はない。若い頃にはそのことをイキがっていた。しかし今になってみると、この豪雪と共棲するのも心細いと感じる時もある。単純に体力の問題なのだが。
 今年は北京のシアター・オリンピックスでの二作品の上演、上海での「シンデレラ」公演と、中国との交流を意識的に深めた。政治的な軋轢が増大しているから、逆に芸術家同士の共同作業を綿密にしておくべきだと考えたからである。
 中国中央戯劇学院の名誉教授にも就任した。名誉教授は私が7人目、10年に一人を選ぶのだそうである。院長から額に入った委嘱状を手渡されたが、そこには中央戯劇学院、是中華人民共和国教育部直属高等芸術院校という文字が一直線に書き下ろされている。学校教育の劣等生だったから、教育機関から顕彰されるのは、チョット照れくさかった。
 しかし受けた以上、ツベコベした気持ちでいるのもイヤラシイので、私なりにレッキとした心持ちで先生や学生を前に記念のスピーチをしたつもりである。それにしても、私への色々な心くばりをしてくれる中国の友人たちには感謝である。現在の両国の政治関係の中では苦労なことも多いだろう。私の方もそれなりの気遣いはして、友人たちとの共同作業を、より深いものにしなければという気持ちになる。
 来年は劇団を創立して50年、SCOTが利賀村で活動を始めて40年である。この間には日本の社会もそうだが、劇団にも色々なことがあった。それらの渦中をなんとか生き抜いてきたという感慨はある。センチメンタルな気分ではなく、シミジミとするところはある。そして、元気になる。
 世界をミテモ、日本をミテモ、自分をミテモ、マダマダ、この利賀村で戦わなければならないことはある。私の活動をこれまで、親身になって支えてくれた友人や観客の人たちへの返礼のためにも、三島由紀夫の「サド侯爵夫人」を演出した際、主人公のルネの心情に寄り添うように使用した歌、美空ひばりの「この道を行く」しかない、と思う心境である。