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鈴木忠志見たり・聴いたり

1月27日 下剋上

 オレタチ、貧乏から抜けられないらしい。若い俳優が言う。一生ということではないよね。もう一人の若い俳優。デモ、そう書いてある、新聞に。貧乏も金持ちも世襲になったって。ジャア、ダメジャンカ、オレタチ。フランスの経済学者が言ってるんだって。
 ここでリサが登場する。ソリャア、フランスだからね。アラブの移民下層労働者にとっては、ソンナコト、アタリマエ。ダケド、ココハ日本、民主主義の国だよ!
 フランスは民主主義の国ではないんですか、若い俳優が聞く。リサは軽蔑的に答える。アンタ、シラナイノ! フランスは自由、平等、博愛の国だよ。ダケド、移民の労働者でもフランスの国籍を得ている人はたくさん居るんでしょう? 自由と博愛はどうでもいいけど、同じ国民が平等でないのはオカシイデスネ。
 リサは気にいらない、若いくせに口答えするとは、ナマイキだ。金持ちと貧乏人が居る国は平等ではないのか。金持ちと貧乏人が居る国だから、平等なんではないのか。みんな金持ちだったら、平等ではない。インチキしている国だ。資本主義の世の中では。金持ちは金持ち、貧乏人は貧乏人、それをガマンスル、そして仲良くするのが平等。若い俳優は、ヘンナ理屈だと思う。そしてツブヤク。金持ちもガマンしているのか。
 もう一人の若い俳優がトツゼン言う。フランスには日本と違って下剋上がないんだ。ナンダ、ソレ、とリサが不思議な顔をする。貧乏人はズット貧乏をガマンしなければならないなら、下剋上がないということでしょう? だから、フランスは民主主義の国ではない、リサさんはそう思っているんでしょう?
 リサにはこの理屈が飲み込めない。ダイタイ、下剋上なんて旧い言葉をどうして使うのか。下剋上とは字面どおり、下が上に克つ。下の者が上の者を打ち倒すことである。日本の室町時代に下層階級の出身者が、伝統的な権威や価値を奪い取り、成り上がりの戦国大名になったりする社会的風潮に名付けられた言葉である。
 偉い先生の本を読んでいたら、「大言海」という辞書に、「民主主義とは下流の人民を本として、制度を立て、政治を行うべしと言うこと。所謂、下剋上と言うものか」と書いてあるそうです。フランスがリサさんの言うようだとすれば、フランスにはもう下剋上がないわけだから、タシカニ、民主主義の国ではないということになりますね。デモ、日本はホントウニ、民主主義の国なんですか。それなら夢は持てるけど。
 ナルホド、見たこともない辞書だが、日本にもシャレタ人が居る。リサはこの定義にノッカルことにしたらしい。フランスも昔は民主主義だったよ、王制を倒す革命をしたからね。今は自由、平等、博愛だとか言ってウカレチャッタからね、イマドキ、こんな言葉を口にしてトモダチになれるのは金持ちだけ。リサは得意そうに答える。
 革命を起こすと民主主義なら、ソ連も中国も一時は民主主義の国になったんですか? リサはマスマス得意顔になる。ソ連も中国も昔はソウ言っていた。共産主義こそが民主主義、下流の人民を本として政治を行うし、制度も立てたって。今度は若い俳優がこの理屈を飲み込めない。一党独裁で選挙もないのに。ダカラ、昔の一瞬の、ハナシ、フランスと同じで。ソウカ、下剋上の可能性はなくなったのか。そして思う。キット真実はどこか遠くの方にあるのかも。
 ヨソノ国のことは、ドウデモ、イイジャン。リサは自分も少し、コングラガッテキタと感じたらしい。ともかく日本の民主主義は、アベサンが言ってるからダイジョウブ。経済成長を実現し、地方を再生するからって。リサは急にアベサンの友達になったよう。金は天下のマワリモノ。ソノウチ、ここにも回ってくる。それがアベノミクス。イマニ、東京も日本の首都ではなくなって、この利賀村が首都になる時代がくるかもしれない。日本の国土が下剋上を起こすかもしれない。それまで、ガンバルンダヨ!
 この村が世襲なんてありえない。地位も財産もないし、滅びかかっている。だから、戦う以外にはないのかもしれないけれど、下剋上なんて昔のことだからな。利賀村が東京に克つなんて。そして、若い俳優はボンヤリと思う。
 下剋上があり、群雄が割拠していた戦国時代は、日本はホントウの民主主義の国だったかもしれない、と。
 今冬は豪雪である。食堂の窓から外の景色は見えない。雪が軒下にまで積もっている。食堂は電気を点けても薄暗く穴倉に入ったよう。その閉じ込められた、穴倉での会話である。