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鈴木忠志見たり・聴いたり

4月17日 デカイコト、ヘ!

 劇団四季は青山劇場で「ハムレット」、新宿西口のテント劇場で「キャッツ」の公演をしている。どちらかの舞台を観てもらってからの対談にしよう、と浅利慶太が言っていると新聞記者からの連絡。即座に「キャッツ」を選択した。私は丁度その直前、ニューヨークのジュリアード音楽院に教えに行った時、ブロードウェイでアメリカの「キャッツ」を観たからである。
 「キャッツ」は浅利慶太が、日本にもミュージカルを根付かせるのだと意気込んだ話題の公演。どうせ、版権はアメリカにあるのだから、演出はそれほどの違いがあるわけではなかろうとは思ったが、日本の役者がどれほどの力量を示すのか興味津々だったのである。
 観劇した翌日、新聞記者からの電話。ドウデシタ? 私はシバラクの沈黙。新聞記者が言った。浅利さんは「ハムレット」を観てほしかったそうです。ハムレット、ネー。私はああいう若者の悩み方に、アマリ、興味が持てないもんだから。
 実際は四季の役者たちの語り方で、シェイクスピアの台詞を聞くのが辛かったのである。ソウデスカ、ソレデ、「キャッツ」、ドウデシタ? ガンバッテイタ、とは思いますよ。私は一応の礼儀はつくす。タシカニ、私の予想よりは、ガンバッテいたのである。しかし、その後の一言が、イケナカッタ。役者の演技が、マダ少しぎこちなく、<ネコ>みたいではなく、<サル>みたいな印象だった。ヨセバ、ヨイノニ、新聞記者は私の感想を伝えたらしい。ソレデ、対談は、ナシ!
 浅利慶太とは何度か顔を合わせる機会があった。音楽評論家吉田秀和さんの何かの記念で、加藤周一や小沢征爾、それに彼と私が発起人の会があった。当然、二人だけの会話の時間は、ヤッテクル。その時に彼の言った言葉は忘れられない。スズキ! ミュージカルは世を忍ぶ仮の姿、これからはストレートプレイに全力を投球するからな! 最近の彼の動静を新聞記事で知り、思い出した。
 浅利慶太が高齢を理由に劇団四季の社長を退任し、「浅利演出事務所」を設立した。そして、劇団四季とは別に、独自の演劇活動を開始するのだという。82歳。オドロキデアル。「不思議に演出だけはぼけないんですよ」とは記者会見での弁。強気の芸術的発言である。経営者としては功なり名を遂げて老人になり、劇団経営が煩わしく、また周囲からも敬遠されることも多くなったことは推測できるが、新しい活動の第一弾が、フランスの劇作家ジロドゥの「オンディーヌ」、妖精の恋物語りの芝居である。浅利よりずっと年下の妻が主演だと聞くと、チョットナー、という気もするのである。
 四季は1953年、学生劇団で活躍していた人たちによって創設された。演劇理念を明確にした同志的色彩の強い劇団である。その点では、私の劇団SCOTの成り立ちに似ている。当初はフランスの戯曲の上演が多かったが、1990年代になると、主にアメリカのミュージカルを上演する劇団になり、劇団員800人を擁した時期も。年収100億~200億、東宝や松竹などの興行会社に匹敵する企業集団に変身していく。
 四季の初期の活動と浅利の発言は、先行の演劇=新劇への否定的闘争心に彩られ、フランス演劇の教養をバックに、知的でハイカラな文学的演劇青年の見本のようなものだった。その成果はともあれ、私も彼の理想とする演劇への想いと、発言の歯切れの良さには、一定の敬意を感じたものである。俳優座の千田是也、民芸の宇野重吉と並んで、私が意識せざるをえなかった日本の現代演劇界の先輩である。
 「もし貴方がたがリアリズムの方法論を徹底させるなら、何故無名の新人の、力弱いものでもいい、アメリカ帝国主義のメカニズムに支配された日本の現実を描くドラマを選ばないのでしょう。ナチスドイツの暴虐よりは日本という現実で捉えられるアメリカ帝国主義の暴力の方が、より複雑で、悲惨をもたらすことは貴方がた自身がよく知っている筈です」<演劇の回復のために>
 既成劇壇の先輩たちを批判するこの激しさ、今の若い演劇人には、オドロキの浅利慶太であろう。しかし、1955年のこの発言内容は、現在でも有効である。日本だけではなく、アメリカ帝国主義の暴力は世界中で猛威をフルッテイル。
 私は浅利慶太に尋ねてみたい。劇団四季の退団者や妻とではなく、この発言に表出されているような青年の気合で、貧しく力弱い世界の若者たちと共に今一度、アメリカという怪物と最後の一戦を交える気はないかと。くれぐれも、日本の政治家や経営者のように、我が身の利害と身近な人間関係だけに気を遣う老後を送るのではなく、世界に向かって<デカイコト>を言う演劇活動をしてほしいものである。それこそが、グローバリゼーション時代の格差社会に必要な、厳しい経験を積んできた浅利慶太にしかできない社会的役割のようにも思えるのだが。